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【年末はやはりベートーヴェン交響曲第9番!】


 毎年書いているけど、年末と言えばベートーヴェン交響曲第9番「合唱」が日本ならではの風物詩にもなっている。

 クラシック史上最大のヒット曲として名高いいわゆる「第九」。

 正式な楽曲名(?)は、「シラー作の賛歌『歓喜に寄す』による終末合唱を持つ交響曲」というらしい!しかし、長いので彼の9番目の交響曲ということもあり「交響曲第九番ニ短調作品125」と表記され、さらに短く「第九」という呼称が一般的に使われるとのこと。

 この曲がオーストリアで初演されたのは1824年5月。当時の54歳のベートーベンは難聴が進み、この曲はほぼ耳が聞こえない中作曲したといわれている。

 日本で初めて「第九」のコンサートを行ったのは、戦後間もない1947年のこと。新交響楽団(現在のNHK交響楽団)が、12月コンサートを開催し絶賛されたことが、年末に「第九」を演奏する習慣へと受け継がれていく契機となったとのことである。

 合唱は新年にむけての臨時収入を得るアルバイトのひとつとして人気があり、年末になるとオーケストラのために「第九」を歌う人が殺到したそうで、まだ混乱期の真っ只中だった当時、ドラマティックな「歓喜の歌」を聴いて元気をもらい、新年への活力とする人も多かったとか。

 ちなみに日本で最初に「第九」が演奏されたのは、1918年6月、徳島県の鳴門市にあったドイツ兵捕虜収容所で行われたコンサートだったと記録されているらしい。これは、第一次世界大戦の青島攻略戦で捕虜となっていたドイツ人たちによる演奏で、この演奏を聞けたのは捕虜兵と収容所の従業員のみだったそうで、個人的には非常に興味深いが、音源なんか残っていないだろうから、凄く残念であるし、どうやって合唱をやったのだろうかとか、当時のドイツ人の演奏を聴いて日本人はどのような感想を持ったのだろうかとか、いろいろ気になってしまう。

 

 さて、いきなり話がタイトルから脱線してしまうけど、有名作曲家の交響曲ってなぜか第9番で終わっていることが多いのが気になっていたけど、これもちょっと調べてみたら、いろいろ分かったことがある。

 まずは、交響曲第〇番のような番号付けは、作曲者の死後に出版社が後付けしたものもあるということ。そもそも作曲者は自分で番号を付けないことがあって、例えばモーツァルトなんかは非常に多くの作品を残したが、後々の研究者が楽曲を整理した際に付番したものがあって、さらに研究者によってその付番もバラバラだという。実際に吹奏楽で演奏したこともあるけど、有名な交響曲第40番の楽譜には、40番という番号すら印字されていなかったし、ドボルザークの新世界は今では当たり前のように第9番であるが、本人は第5番だと認識していたらしい。

 出版社も必ずしも同じ作曲者の作品をずっと出版していたわけではなく、異なる出版社から発表されたりしたから、結構順番がグチャグチャだったようだ。

 そんなこんなで、とりあえず的に定着してきた現在の番号で落ち着いているものの、必ずしも9番目に作曲されてものが最後というわけではないという感じで、もしかしたら未発表の作品もあるかもしれないから、あまり9番の呪縛と言わない方が良いみたいだ。


 とにもかくにも、今はベートーヴェンの交響曲第9番を楽しみたい。

 第1楽章の出だしなんか、いきなり何かが始まるという緊張感に魅せられ、音楽的大爆発のような感じがたまらないし、個人的には合唱が始まってしばらくしてからの、ゆったりと静かに美しい和声が絡み合ってクレッシェンドしていく部分は非常に崇高且つ大感動だ。


 今ではYouTubeとかでたくさんの演奏を聴くことが出来るから、いっぱい聴きましょう!そしていっぱい感動しましょう!

 

 最後までお読みいただきまして「ありがとう」ございました。

 良い年を迎えてください。


                              2025年12月

武豊吹奏楽団